January, 2020 – June, 2020 (monthly EPs) / acimorph9

テクノが機材に依存する音楽であることは今更言う迄も無い。
技術の一般化と機材の広い普及により最も裾野が広がった副作用として、誰も彼もがインスタントに音楽活動が出来るようになったと同時に、盤面をひっくり返す程の音源方式が見当たらなくなったことでジャンルとしての成長はすっかり停滞した。結果としてどんな状況になったかと言えば、ひとたび多少なりともネームバリューが得られれば飛び付かれるようなメジャーシーンの縮小再生産があちらこちらの小規模なクラスタで発生するようになった。好ましい音源が発掘される可能性の裾野が気軽に拡大された面では、大いに喜ばしい状況とも言える。

一方で、特にデトロイトテクノ以降の歴史から見ても、それではアーティストが有名だから何なのだ、という言及も可能だ。触れた通り、技術は一般化し制作環境は誰でも安価に揃えられるようになった。有名無名に関係無く、品質の高いテクノもまた膨大に増えたのだ。我々はパーソナルな個々の神を崇めていい時代に居る。宗教と違ってそれは嗜好と教養であり、戦争に至ることも無い(無論格付けじみたどうでもいい論争は発生するが)。
そんな背景もあり、非匿名と化し認知度の上がったテクノの大部分には今や然したる興味が無く、それ以外のテクノとなると実は身辺のトラックメーカーが作る物しか殆ど聴いていなかったりする。従って、非匿名且つ著名なテクノアーティストに関しては(聴いて楽しみはするが)特に語る口を持たない。強いて何事かを言及しようと思えるのはTM404/Andreas Tillianderぐらいが精々である。Aphex Twinもその類ではあるが、あれは大概誰もが何か言いたくなるアーティストだし、何より昨今のクリプトン・フューチャーメディアに依るライナーノーツが機材面も含めて指摘すべき箇所を可能な限り挙げている秀逸さなので、特段それ以上に何か言及する必要があるとは思えない。語られるものより、語られ難いものを語ることこそが、ディテールの可視化または評論の鍛錬の一助である。

また、もう一つ別の問題がある。
クラブによく出入りしていたり、機会に恵まれて何度もマシンライヴの真似事などしていた時期を経ての個人的なフィードバックではあるが、ああいう場で下戸がどう真摯に楽しむかと言えば、詰まる所、周囲に気を遣って雰囲気に呑まれながらもトラックや音色の良し悪しを具に聴いて寸評するぐらいのものだ。それを具体的に共有することが可能であればまだ良いのだが、会話の大部分が聞き取りにくい大音量下の閉鎖空間に於て、そうした行動の実現は非常な困難を極める。
そこで下戸は、どうにか可能な行動及び表現として、いい具合に出来上がった酔客とも容易且つ確実に共有し得る、唯一にして代替の利かない符丁を以てコネクションを確立せざるを得なくなる。その、ASCIIコードに変換するとたった5バイトの、人間の平素の知性を凡そ5%ぐらいまで低下させた語彙力。しかしこれはその場のどんな状況の第三者にも伝わる。この単語を受け取った誰もが同じ5バイトを返し、享楽の増幅を以て双方向のスリーウェイ・ハンドシェイクを円満に達成させる。

[S] seq=1000, ack=0,len=0
[S.] seq=2000, ack=1001, len=0
[.] seq=1002, ack=2001, len=0
[P.] seq=1002:1008, ack=2001, len=6 (data: 59 41 42 41 49) // here it is
[.] seq=2002, ack=1008, len=0
[F] seq=1008, ack=2002, len=0
[F.] seq=2002, ack=1009, len=0
[.] seq=1010, ack=2003, len=0
// 相手側からも同内容の通信が繰り返される

そうして下戸はなんとなくその場で揺れながら、スマートフォンで何度もタイプミスを繰り返しながら、その持て余した残り95%の語彙力をSNSで、或いは込み上げるものを胸の内へ大事に抱えて帰宅後にブログで発散させる訳だ。
件のハイコンテクストな5バイトは様々な意図と解釈をも受け取り、且つ如何様にも返し得る万能のインターフェースでもある。これに特定の係数が加えられるとなるとアッカーマン関数さながらに膨大な情報量が無駄に出力されることとなり、単なる非効率と無理解の壁が形成されてしまう。この愚かしさを判っていても尚、理性を保ち続ける下戸は酔客の皮を被りながら言語化に挑むのだ。
そうした体験ともどかしさの鬱憤の結果がこれ以降の記述である。

 

目下吉祥寺を基点に定期的なマシンライヴ/DJ活動を繰り広げているアーティスト、Blue Azacca Recordingsのacimorph9。こう書いてしまうと失礼なのだが、膨大なテクノアーティストが生まれ続けている状況下、知名度は決して高くはない。しかし私にとっては、ポジティヴな批評性を伴う音楽を作り続ける、崇めるべき個々の神の一人である。
acimorph9は2020年に自らのフロアユース目的と技術研鑽とライフログを兼ねたEPを、12ヶ月分+半期毎のセルフミックスとしてリリースした。EPではあるが、年間継続もすると全50曲・5時間23分に及ぶ巨大な一作品と化す(それでいて1EP当たり100円×12=1200円という破格の設定だ、クオリティに反して著しく価格設定が低い方向に乖離しているのが不満と言えば不満ではある)。その分量と継続性、理に適った構築と各パートのミックスの熟練具合、ハードウェアシンセに対する真摯さ、毎回少しばかり垣間見られる反骨心の痛快さ、リスニング用途としても存分に聴き倒せるテクノ、といった諸々の要素から好奇心と期待を毎月しっかり煽られ、年間通して最も愉しんだコンテンツ及び作品の一つであったのは言う迄も無い。
敢えて件のハイコンテクストな5バイトの単語でこのEP集を表現すれば万事解決ではあるが、此処は私の記述の場である。故に存分に書き倒すことにする。
個々人の嗜好も無論ある訳で、幾ら伝達してもハンドシェイクに失敗することは幾らでもある。これらのマンスリーEP集を聴いて、何かしら思いが及ぶようなフックが特に見当たらないのなら、或いは著名なテクノアーティストのアンセムには敏感に反応する酔客であって良い。それも立派な楽しみ方の一つであり、誰にも否定は出来ない。その代り、平素からそうして「音楽のようなもの」を浴びて音楽が楽しいと思う程度なのであれば、オーディエンスとしての御前の感覚は確実に面白くはない。オーディエンスにもまたそれなりの解釈力と未知への柔軟性は必要とされるのだ。敢えて私は此処でそれを明言しておきたい。

 

 

 

このプロジェクトが開始された1月。先ず驚かされたのが、下は壁、上は空間、と明確に言い切るぐらいの極端な距離感の調整であった。クラブハウスで流すのであればそのハコ自体の音響を想定して空間系のエフェクトは極力ドライにするのが自然ではあるが、そうした低域・ドラムの対処とは正反対に、上モノに対しては圧倒的な奥行き感と広さを設けるといったトラックの構築には、改めてその極めてセンスと技量を見せつけられる思いだった。アーティスト自身がその音楽活動の初期からミキシングを強く専攻していた背景もあるが、日頃きちんと現場ごとの空間を意識したDJプレイをしているという良い証左の一つでもあろう。
一方でクラブユースが念頭にありながら、安直な4つ打ちキックを悉く否定している感にはとても好感が持てる。ズレにより受け手個々のリズムの体感と把握を促す、テクノに於ける機械的なグルーヴのヴァリエーションの提案・提供とも言える。これは年間通して追求されており、acimorph9の大きな特長の一つと言って差し支えない。

 

2月。1月の「breathing」もそうだったが今回の「stauty night」も同様に、静かに揺蕩えるような、無機質且つ倍音をそれなりに含む音遣いの妙がこのアーティストの特長の一つと言える。曾てIDMと呼ばれた時代のフレージングを思わせる「emotional session ale」には、時代的な背景もありこういう音がテクノだったという追体験を味わった。
「2020 Track 5」、この系統の命名をされているトラックは何れもRoland Boutiqueシリーズを用いたアシッドハウス主軸のセッションとなり、年間通して欠かさず収録されるようになる。伝統的なアシッドのように音程外し上等な偶発性任せの打ち込みでゴリ押しはせず、あくまで粒立ち良くノーブルなシークエンスパターンを軸とすることで心地良いトラックを作り上げている。
勘の良い人ならこの2月の時点で気付くだろうと思われるが、acimorph9の作るトラックには何れも独特の重みがある。マシンライヴを前提としたセッション録音であること、それ故に一度に使用する機材数を絞っていることがその大きな影響であろうと思われる。テックハウスほどシャッフルを露骨に強調したリズムにはしない面も含め、その独特の重みがダブテクノのそれとよく似ている為、実は無自覚に影響されているのではないかという思いが個人的にはある。当人曰く、余り意識はしていなかった、との発言を以前していたことは明示しておくが。

 

3月。1~2月には見られなかったアプローチが多く、ライヴ収録らしい実り豊かなEPという第一印象だった。アシッドシリーズの「2020 Track 7」では303(TB-03)を意地でも303のように扱わず、元の音源の性質や定義に縛られることなく組み立てていたり、「Live Track 2 (Tq109)」では鋸波の低音の粒感を活用し尚且つ楽曲が汚れ過ぎない巧い箇所に落とし込むという難易度の高い領域に手を付けている。
また、「space session 80.1FM」では敢えて別名義のThe Hop T-Looperとして、キャリア側でFM独特の倍音を加えた(か、或いはオペレータ並列の多いアルゴリズム)氷のようなKORG volca fmの音色を軸に、Eventideのリヴァーブとelectro-harmonixのルーパーを駆使してリズム抜きのアンビエントセッションを披露している。他のトラックとは正反対に、ドライなキックやベースを一切入れなかったことは的確な判断力の証左と言える。
特筆すべきは「Live Track 4 (Tq109)」。序盤のディレイで飛ばしているコードからはダブを連想させるが、スネアをアグレッシヴに叩くことで高揚感を醸す為の支柱を立て、フィルターに緩いLFOをかけた柔らかい5thリードの2サイクル循環で浮遊感を与え、各パートのさりげないフェーダー操作によって楽曲の展開を作り上げている。そして、中央奥の方に配置されたシークエンスパターンにより、テクノポップの印象すらも違和感無く共存する(YMOがトランスアトランティックツアーで多用したMoog IIIcのあの系統の音色だというのも大きい)、という、ハイブリッドでありながら一切の破綻も無い秀逸さ。しっかり集中して聴くべきトラックだ。

 

4月。結果的には年間通して最も収録曲数が多かった月。今回の白眉は「Strange Days 1」「Strange Days 2」の2曲だろう。エフェクトで節々のハットやリムを16刻みにしていたり、チューニングを平均律から外しているのが特長。ああ微妙にずれている、という初っ端の違和感が聴いてる内にそういうものとして馴染んできてしまうのが妙に気持の良いポイントだ。コードのような楽曲の音程の軸となるパートに対して平均律を外す手法はクラブユース楽曲に於て通常先ず使われないが、しかしエイフェックス・ツインはマイクロチューニングを多々活用していたり、更に遡ればデリック・メイも『Innovator』収録の「Dreams Of Dreamers」で半セント程度下げたFM音色でシークエンスを組んでいたりもした。方法論としては大いにアリでありつつ、余り使いたがられないし理解もされない訳だが、豊穣なテクノの知識の裏打ちを以て果敢に挑んだことに此処で賛辞を贈りたい。
その他、「Not Enought」(一見スペルミスのように見えるが同名の楽曲も他に存在するので何かしら意図はあるのだろう)は、長丁場になるマシンライヴ/DJでの導入部として活用しやすそうだ、という感想を抱いた。超ロングなワンコードのパッドの合間に割って入る、Elektron Analog Fourと思しき発条のようなグリッチが非常に良い音。

 

5月。電子音楽的とも言える非常にストイックなミニマルが並ぶ。音色のストイックさについてはMFB製品で固めたことが由来であろうと思われる。「Cv/G 8oz」の良い感じのミニマルさと、低域の鋸波にリングモジュレーターとリヴァーブ、加えてテープエコーかアナログフランジャーのワウフラッター的な効果を同時にぶち込むと、随分とモールドの複雑な壁になるのだな、という学びがある。
毎月恒例のアシッドハウス楽曲では「2020 Track 13」に着目。シークエンスの内1音だけを2オクターヴ上げていたり、任意の1音だけに対して強烈に深いリヴァーブを掛けることで眼の覚めるようなアクセントを挿入している。また、これは「2020 Track 12」の方にも、或いは他のシリーズにもほぼ共通して言えることではあるが、303系の機材を使った際のディケイを短くした独特の粒感。これが良い。
ちなみにこの時期、私生活で波乱があったとのことで、知らない内にそうした感情的な側面が制作に反映していたかもしれないとの発言があった。主に無機質感、真摯さ、多幸感の仕掛けと導出が受け手に齎されるテクノに於て、(マンスリーでリリースする特質もあり)そうしたアーティストの個人的感情が曲調に反映されるのはなかなかレアな機会かも知れない。

 

6月。充分な空き時間が確保出来なかったとの事由で、この月はKORG Gadgetのようなソフトシンセが多用されている。「Healing Chamomile AL」、ベースのシンプルで独特なパターンがリズムパターンと危うい均衡で絡むが、その後加わる所謂スタブリードの音が一挙にトラック全体をまとめ上げて統一感を出す。この音色をリズムのアクセントとして捉えると一つにまとまって聞こえる、という複合的なリズム構築の技をこのように難無く表現するのはとても難易度が高いものだ。
「Sour ii」は似たような単語でもacidでは無くsourを選んだセンスが良い。聴いて確かにと思える。303(Behringer TD-3)を全面的に使用してはいるが、アシッド的なパターンからは遠く、寧ろギターのフレーズサンプリングのように聞こえる点が興味深い。
今更ではあるが、自主レーベル・Blue Azacca Recordingsの主旨説明で「For Music & Beer Lovers」と謳っている通り、数年前から活性化しているクラフトビール界隈に対して、ヴァイナルのdig及びDJプレイとの類似性をacimorph9は掲げている。両者の親和性に関しては無論改めて記述するまでもないだろう。下戸でも判ることだ。その背景を考慮してみると、例えば「Barrelaged」での空間の質感や録音時のハードウェア独特のノイズなどが、それぞれグラス内の気泡や水滴が澱みなく混じる状況を眺めるかの如きエクスペリメンタルな要素すらも感じ取れたりするのではないだろうか。或いはこれらをBGMに飲む愉しみ方の一つとして。

 

 

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