ルネサンス期の古楽と近代ロシア系作曲家大好きマンとして、クラシックの楽曲を聴いていて思う所は当然少なからずある。あるのだが、今更私が乏しい知識でクラシックについて書くぐらいなら楽理を含めた他の評論や解説を読んだ方が明白に有益なので特に何もしてない。プロコフィエフ『炎の天使』に就てはわざわざ書いたが、これは大概誰も挙げないことと、パワータイプ作曲家の面目躍如感が凄まじく面白く、その点に着目して書かずには居られなかったからだ。あれは例外と言える。
しかしそれでも、この作曲家に関しても同様、多少なりとも触れておかなければならない。元々好きで聴いてはいたのだが、ヴァイオリンソナタ全集(と言ってもCD1枚だ)が数年前にリリースされていた事実に最近気付いて慌てて買い、改めて感銘したのだった。SNSでの拡散はおろかSEO対応もまともにしていないぐらいには誰にも何も伝える気の無い当所ではあるが、敢えて主張したい。
レオ・オーンスタイン。後期印象派と無調音楽を悠々とクロスオーヴァーしておきながら若くして早々に演奏活動から身を引き、音楽院で教鞭を執りながら断続的に作曲を続け、2002年に108歳で逝去した、或る種の変態作曲家だ。演奏家として自身の録音を一切残さなかったからか、プーランクのようなオールラウンダーと違ってエッジが強かった所為か、音楽的変遷が何処と無くシェーンベルクと似ているからか、或いはガーシュウィンのように大衆向けの市場で活躍するには若くして達観し過ぎてしまった為か、非常に残念なことにクラシック界隈でもそこまで有名な作曲家ではない。しかし確かに余人を以て代え難い独特の作曲家であったことは確かだ。
A Morning in the Woods
1971年作。後年の作曲だがラヴェルを下敷にしたような正当な印象派。曾てオーンスタインはラヴェルの「Jeux d'eau(水の戯れ)」を弾きながら、何故これを自分が作ってないのだろうと発言した(出典は『Complete Violin Sonatas (Brilliant Classics)』)ことからも、若い時分から既にラヴェルの影響は少なからずあったと思われる。でも仮にラヴェルのような人間であったとしても絶対あんな素直な印象派楽曲なんか作らないだろお前、という気はするが。
Piano Sonata No.4
1924年作。四部構成のピアノソナタで、多少の不協和音は交えつつも美麗な曲調で占められていて、印象派と新ウィーン楽派との間を自由闊達に行き来するオルンスタインの特長が最も端的に表現されているピアノソロ作品。「II. Semplice」の、冒頭ではリリカルで格別美麗な印象を植えつつ、内声部が出てきてから加速度的に打鍵量と複雑さが増す騙し討ち感がとても良い(しかし美麗である点は全くぶれない)。テンポ112で且つ和音の連続で滑らかに弾けという「IV. Vivo」がこのピアノソナタの真の本題と言える。
Tarantelle
1960年作。タランテラだが、当然の如くブルグミュラーやショパンのように一定の拍が保たれることは無く、12/8拍子ベースに5/8や7/8といった変拍子が挟まれる。三連符や五連符や装飾音を随所に盛り込んだ独特のクセのあるリズム、流麗なメロディーに対する運指の難しそうな内声を常に含む右手パートが特長で、クラシックピアノの演奏に慣れていない素人が譜面を見ながら聴いたところでちっとも耳と目が追いつかない。また左手右手関係無く、単音のままで何の問題も無いのにわざわざ1度足して不協和音にする箇所も多く、何かこうとても捻くれた性格がこれでもかと表れている。最後まで翻弄されたまま終わる点では確かに原義通りタランテラだとは言える。
Suicide In An Airplane
1913年作。バルトークも真っ青、野心に満ち溢れたトーン・クラスター作曲家としてのオーンスタインの代表曲。
Piano Sonata No.8
1990年作。つまり98歳の時点で仕上げた作品。「人生の波乱とささやかな風刺の数々」「屋根裏部屋への旅(永遠に失われた子供時代への一粒か二粒の涙)」「規律と即興」の三部でまとめられた散文的なピアノソナタ。特に二部はオーンスタイン作品にしては吃驚する程耳馴染みが良く、これが老成というものだろうかと思わせられてしまう。『Piano Pieces SF2』以降の浜渦正志のピアノ曲が好きな人であればまんまと騙されてハマリそうな楽曲で占められている。だが安心してほしい、紛うかたなきオーンスタインの面目躍如だ。リゲティのピアノ曲ほどでは無いが、あのぐらいの訳の判らない運指を要求される。
Composition 1 for cello and piano
作曲年代不明。G♭スケールからブリッジを挟んでF♭スケールで前半部とほぼ同じ形のバリエーションを追って終わるという、オーンスタイン作品にしては驚く程コンパクトにまとめられ、深く沈み込むような内省に満ちたチェロ-ピアノ楽曲。ピアノも単に譜面通りに弾くだけであれば難解では無い。しかし随所に挟み込まれる変則的な和声や余り解決感のしないCm7-5の終止など、性格はよく表れている。
Sonata No.2 for cello and piano
1920年作。チェロ-ピアノのデュオ楽曲では最も均整の取れた美しさを誇る楽曲。その美しさ故にこの曲を演奏した動画も幾つかある。マイナー故に再生数が重ならないのが非常に口惜しい動画ばかりだ。
基本はアルペジオ(但し2拍子なのに32分音符の7連符や10連符といった速度が随所に含まれる)となるピアノとは対照的に、チェロのパートは過剰に演奏技術を問うような難解な譜面にはせず、最も良い響きを堪能出来る音長やグリッサンドの妙を低中高それぞれの音域で盛り込んだ旋律になっている。その為か、相変わらず妙なタイミングで変拍子が入ったり転調したりするにも拘らず、聴き易さに於ても抜群。オースタインの奥方も「一つの長く輝かしいメロディーライン」と表現している。恰もピアソラの解釈のような曲調を含んだ中盤を経て、曲の後半で冒頭の主題を匂わせてから満を持して本来の冒頭の提示部へ戻り、ピアノソロを挟んで第二主題(同じ形式で二度登場するので勝手にそう解釈している)へ展開してからコーダ、というプログレ的なカタルシスを喚起する構造も素晴らしい。こういう楽曲がこれまでずっと世間的に大きな評価を受けていないのはおかしいとは思わないかね。
Violin Sonata No.1 op.26
1915年作。綺麗なオーンスタイン。ここらで大体判ると思うが、弦楽器を交えるとオーンスタインはエモさが十倍増しになる。
ここ十年ぐらいのニューエイジ系のアーティストが作りましたと嘘を言ってもすんなり納得されそうなぐらい、極めて現代的な和声の響きであり、作曲された年代には似つかわしくない。少なくとも八〇年早過ぎた作曲だと言い切っても過言では無い。特に軽快なスケルツォである第3楽章に至ってはラヴェルの「道化師の朝の歌」をも飛び越える現代感で彩られている。それだけでなくトリオ(中間部)では極めて高度にエモい三拍子(特にオクターヴユニゾンが心憎い)を展開していて、初見でも一発で惚れ込みそうな要素しか見当たらない。しかし第2楽章のピアノの不協和音の入れ具合でその人だと判る辺りがまた面白い。
Violin Sonata No.2 op.31
同じく1915作。先程、弦楽器を交えるとオーンスタインはエモさが十倍増しになると言ったが、あれは嘘だ。同時期に全くの対極となる作曲をしていたのがこの第2番だ。何だこの変態は。
十二音技法で縛りまくったシェーンベルクの弦楽四重奏曲程では無いにせよ、ヴァイオリンのパートには極めて十二音技法的な響きがある。但し時代的にも正式な十二音技法に依る作品が出現するのは1919年(ヨーゼフ・マティアス・ハウアー『Nomos』)であるし、実際ピアノのパートはあくまでトーン・クラスターの方針になっているので、実際には余り意識はしていなかったと推測される。それでも結果的にはこれ、という才覚。