NOT THE ACTUAL EVENTS / NINE INCH NAILS
『THE FRAGILE: DEVIATIONS 1』の盛り上がりですっかり陰に回ってしまった感もある(誇張はしてない)、前作『hesitation marks』から三年振りの新作EP『NOT THE ACTUAL EVENTS』。トレント曰く、リスナーに嫌がられるようなアプローチの曲を出してみてもいいと思った、とのコメントだったが、長年NIN病を拗らせている身としては、これで聴きにくいとはトレントもすっかり丸くなったものだという感想であった。「happiness in slavery」や「the downward spiral」を繰り出していた、神経質で絶望的で尖っていた昔日のお前はどうした、と尋ねてみたい気にもなる。
尤も『WITH TEETH』以降(または肉体改造以降)の傾向からすればオルタナティヴな印象は強く、どれにも収録すべきでない楽曲とは言える。「Dear World,」が辛うじて『hesitation marks』に含めていいという程度だろうか。トレント当人の音楽面に於ける発言は「Burning Bright (Field on Fire)」や「She's Gone Away」に集約されているだろう。ただこれらも、『THE FRAGILE: DEVIATIONS 1』での作業を受けての結果ではないかと勘ぐりたくなるぐらい『THE FRAGILE』に近い位置にあると思う訳だが。
アートワークがかの『AND ALL THAT COULD HAVE BEEN: STILL』と同じ物を使用していたこともあり、その曲調の方面或いは「一生に一度作るか作らないかの物」という当時のSTILLに対する意図を期待するとすっかり肩透かしを喰らってしまうが、EP全体として捉えるとEBMやクラウトロックといったEU的な風情があり、まあ解らない訳でも無い。
2018-09-01追記:
……というのが当初の所感だった。まだこの当時はEPトリロジーとして始まったばかりの状況でもあり、本国からPhysical Componentの発送すらされていなかったので、特に深追いする気も無かった(私的な事情に因り追跡する余力も無かったが)。しかし、『NOT THE ACTUAL EVENTS』には幾つかの仕掛けが潜んでいることが後に判明する。以下にまとめる。
意図的に掲載された未使用歌詞
ブックレット、デジタルダウンロード音源のLyricタグ、Physical Componentそれぞれに異なる未使用歌詞が意図的に記述されている。「Dear World,」以外の全ての楽曲が対象。特に「Branches/Bones」は単語の数で言えば本編を上回る量で、より精神疾患のような独特の表現で記述されている。ブックレットではわざわざニス印刷されている(裁断されていない12インチ版の方がより見やすい)。このような断片的な未使用歌詞を、ここでは文学に準えてヴァリアント(異文)と呼ぶ。
幾つかのバリエーションが存在するPhysical Component
あの煤塗れの内容物で物議を醸したPhysical Component、実は購入者の手元にある物は統一されたパッケージでは無く、各カード毎に幾つかのver違いが存在し、ランダムに組み合わせられていたことが判っている。"physical component" "not the actual events"の2文で画像検索して、自分の手許にある物との相違を確認してみるといい。ある版には歌詞のヴァリアントがあり、ある版はヴァリアントの無いオリジナルの歌詞がデザインされている。またある版ではオリジナルの歌詞も殆ど確認出来ない。
開封することに因って予期せぬ事態を招く場合がある、との注意事項は、中身の煤だけを指し示す内容では無く、状況に依ってはパッケージその物の差異を指摘してもいると言える。恐らくヘヴィなファンや海外のコミュニティでは具に内容確認と差異の列挙をしたりもしただろう。こうした体験が既に、『NOT THE ACTUAL EVENTS』から始まる『year zero』のようなARG体験の端緒ではなかっただろうか。
Physical Componentの「She's Gone Away」、12インチ版の隠しトラック
『Twin Peaks: The Return』の8話でNIN自身がパフォーマンスした「She's Gone Away」は、Physical Componentに於けるヴァリアントは特に見当たらないものの、『the downward spiral』DX版の「reptile」の歌詞の上にレイヤーされた形で歌詞が記載されている。beautiful lierは死んだのだ。デヴィッド・ボウイの「Space Oddity」に対する「Ashes To Ashes」よりも凄惨な否定であるが、この通り余りにも手が込んでいるので、音楽雑誌、音楽評論の対象としては殆ど俎上に載せられてはいない筈だ。
そして、矢張り煤が含まれていた12インチ版(迷惑だな!)のBサイドには、クレジット等の表記は一切無いが実は「hurt」「the downward spiral」「reptile」が収録されている。突如何故『the downward spiral』の最後の3曲を逆順で収録しているかに関しては、上述の「She's Gone Away」が「reptile」の別の側面である解釈の基点と考えるべきだろう。従って「The Idea Of You」は「the downward spiral」、「Burning Bright (Field On Fire)」は「hurt」にそれぞれ対応する構図と捉えることが出来る。
「Branches/Bones」「Dear World,」の冒頭2曲では無いのか、という疑義に対しては、対応関係が見えないことと、前者でブランチを切り、後者で枝分かれが始まる状況(後半で微妙に異なる歌詞がLchとRchに分かれて鳴る)を描いている節があることから、上記の対応が適切な観点であろうと想定する。ちなみに個人的な淡い印象程度だが、「Dear World,」の『hesitation marks』らしさに関してもそれなりの意図があるように思えてならない。
他の楽曲と隠しトラックとの関係性
「She's Gone Away」が「reptile」の別の側面であるとして、では後の2曲はどのような関係となるのか。
「The Idea Of You」──、先ずこの場合のideaは、アイデアや考え方という直訳よりも、プラトンの説いたイデアと捉えた方が意図解釈として自然であると感じる。現実に存在している物理や概念は一種の偽(エイリアス)であってそれらの雛形となる真の実在がイデアである、という概要だ。但しプラトンの名から判る通り、BC400年頃のギリシャ哲学が背景の前提なので、下位世界の現実に対して上位世界の天上界といった神性をトップとするヒエラルキー前提の展望であり、多分に古典である。従ってこのideaは現代的な構図に当て嵌め、量子力学のコペンハーゲン解釈(所謂多世界解釈)か、若しくはデリダの脱構築程度に捉えると良いだろう。※脱構築どころか充分に二項対立の範疇ではないのか、という疑義に対しては後日『hesitation marks』を踏まえた解釈で披瀝したい。
その上で、歌詞に於ける記述は主に「She's Gone Away」を経ての「自分は他の何者かであった」に終始し、曾ての自分が成した物事を信奉するのは誤りだと強調する。特に「everything absorbing, liquid twitching, forming something terrible, the sores are gone」の下りに関して指摘するなら、これは「Spilling out of my head」した時点からの鏡像のような関係であり、情緒たっぷりに表現するなら、頭から流出した諸々の想念が遡行するように収斂し、反物質さながらに似て非なる別の何者かになった示唆である。その上で、覚醒も呼吸もその実何も起こってはいないと二人称に繰り返し語り掛け、最早別の地平に佇んでいることを示す。
「Burning Bright (Field On Fire)」はと言えばほぼ対偶であり、汚穢の冠を戴いていた筈の者が自己に対して意識的になり強靭な者になっていく、見たままの解釈で良いと思われる。
しかし一点興味深いのは、最後の一文「I can't tell if I am dreaming anymore」に代えられた「It's getting hard to know which side is the dream」の一文が、Physical Componentには意図的に記述されている点だ。最早夢を見ているのか判らない、に対して、どちら側が夢であるのか判じ難い──自己の意識に対しては明白である反面、物理的に伴うかどうかの確証は未だ持ち合わせていないとヴァリアントでは受け取れる。これは解離症状として示しているものか(そうであれば『ADD VIOLENCE』でのCedocoreの名称、『year zero』でのCedocore社の薬品を服用している状況に関連付けられる)、またはその後の『BAD WITCH』のように、性格的には何れとも異なる第三者の視点が前提として其処に在ることを示しているとも受け取れる。