北島三郎楽曲のサブスク解禁、ということで俄に世間(狭いところの)が盛り上がっている様子を観測したので、昭和レアグルーヴの観点で選んでみた。サブちゃん以外でのレアグルーヴ歌謡についてはこちらを参照されたい。
まつり
先ずはお約束、1984年作の代表的三郎レアグルーヴ。シモンズであろう太鼓、ニューウェーヴから持ち込んだと思しきベースとギターに、スケベ過ぎる滾る男の熱量を表現するかのようなバリトンサックスが絡む。祭囃子的なパターンを主体としながらも、サビ前で衒いの無い8ビートを挟むというビートチェンジをも取り込んでいる異色の演歌と言えよう。
男を謳う三郎の歌に関しては主に昭和の経済基盤を支えた第一次産業、特に三郎の出身地に縁のある漁業の明示が多く、農業に関しては大自然へ挑む男を描ける場面の少なさ故にほぼ歌われていない(多分な)。そんな中でこの曲に於ては、収穫に絡めた豊作祭の盛り上がりを以て農業従事者へのリスペクトを明確に示している珍しい一面もあったりする。林業に関しては本作で触れられていないものの「与作」に代表される。
この曲にはdj hondaリミックスというネタ画像が存在するが、dj hondaであるにせよないにせよ、クラブミックスは充分にアリなのではないかと思える。
十九のまつり -まつりパートⅡ-
1985年作。副題にもある通りパートIIだ。キング・クリムゾンで言えば「Larks' Tongues in Aspic Part II」のようなポジションなのだが、言い過ぎたすまん。前作のような音楽的強度が薄れ、演歌らしい演歌へと後退してしまっている為か、あまり知られていない。ラテン系打楽器が多用されている所為でリズムも軽めで、何処の国のまつりだよ感は残るものの、現状のパターンから一歩進めてレゲエとして組み立てたとしたら、もしかしたら国内スレンテンのような代表的和レゲエビートになったかもしれないポテンシャルを有している。これも言い過ぎだとは思うが。
与作
これもお約束中のお約束であり、ここまで有名だと最早レアでもなんでもないのだが、改めてしっかり聴いてみると、エモいアコギの所為か、同じペンタトニックを軸とする演歌/民謡よりはスパニッシュ・ミュージックを経由した南米フォルクローレに近い印象がした(つまり尺八はケーナだ)。フォルクローレ演歌と表現した方が良いかもしれない。サビが意外にグルーヴィーだったことを付記しておく。ちなみに作曲者はジャズギタリスト上がりで、その後何故か、件の座って読んでもなんとか出版をフロントの一つとする神道系の面白新興宗教法人に深くコミットしている。
漁歌
1983年作。何故これだけyoutubeで公式公開されていないのか分からない(※)。寧ろこちらの方がレアグルーヴ界でウケるべきではないのか、と感じられる程の「まつり」系演歌グルーヴ。妻子に腹一杯飯を食わせてやりたいが故に東シナ海の荒波へ立ち向かう男の矜持を、力強く艷やかなファルセットを導入してまでも歌い上げる三郎。如何なるテクノ/EDMアンセムをも圧倒する怒涛の上昇感をこれでもかと放つ「今年も鰹が!鰹が来るぞ!」は必聴。
作曲は浜圭介。曲調こそ違えど、上述した上昇感やタメ具合があの曲と共通している。
※マジレスすると「東シナ海」が特亜センサーに抵触するからだろうと邪推される。
黒潮漁歌かつお船
1988年作。待ったなしの一本釣り、同じ鰹漁船テーマの「漁歌」や、「まつり」と同系の演歌グルーヴ。雲の切れ目にあの子が浮かぶ、という『魁!男塾』のような情景描写が味わい深い(だからと言って男塾のように死別している訳ではないが)。ベースを聴いていると三拍子ダブとしてエイドリアン・シャーウッドに容易にリミックスさせることが可能なのではないかと感じられる。
一騎打
1974年作、「祝」B面。北島三郎楽曲最高のグルーヴと断言して良い。演歌界より突如「力石徹のテーマ」のエッセンスを吸収し任侠節へと昇華させた(知らんけど)三郎は、矢吹丈のように五分の一騎打ちに足る己との好敵手を渇望していたのだ。誰もが思わずサンプリングしたくなるようなサビのドラムとベースのグルーヴ噴出は言う迄もなく、ブルージーなピアノのオブリ、ストリングスやトランペットによるカウンターメロディの縫い様は、私がオールタイムベストに挙げる「隠密大作戦」に匹敵する秀逸さだ。
君にあげようふるさとを
1973年作。シングルB面の為か、演歌要素を排した脳天気なメジャー進行の純歌謡ポップスではあるが「一騎打」と同じリズム展開を持つ楽曲。プロポーズを仄めかす歌詞(但し如何にも昭和の男らしく「俺のふるさとをあげよう」という大言壮語を放っている)と曲調を十全に飲み込んだ三郎は、持ち前の声の太さを主張することは無く、軽やかな歌唱に徹している。
横浜の女
1979年作、長年続いた「函館の女」のようなご当地シリーズ。あちこちで二号を拵えているのだな、などといったどうでもいい感想が浮かぶが、三郎だからきっと何も問題は無かったのだろう。当時の横浜から連想される尖った印象を端的に醸したかったが故の演出なのか、イントロからシンセのSEを盛り込んでいる。これも含め、文脈的には80年代ディスコビートをうっすら合体させた演歌となっている。従って系統としては「ディスコお富さん」を彷彿とさせる。
きままな男とはぐれた女
「横浜の女」カップリング。これもBメロ~サビにかけてグルーヴ感が向上していく「一騎打」タイプの楽曲だ。冒頭からディスコという単語が登場するものの、80年代ディスコビート要素は皆無。極めてメジャー進行だが、歌詞についてはまぐわり合い宇宙を恋(の錨を下ろす)と言い張る島津ゆたか的な世界観ではある。
夜汽車
1989年作、此処で挙げた中ではこれでも最近の楽曲。汽車を模したと思しきアナログシンセのホワイトノイズSE、PCMクラップ&コンガ、きらびやかなFMシンセなど、流石に此処迄の年代ともなると違和感無く80年代J-POPの手法と馴染んだ作編曲となっている。シティポップならぬシティ演歌。この時期の編曲担当として名を連ねていた斉藤恒夫の手腕かと思われる。また斉藤恒夫アレンジ楽曲はこのニューウェーヴ的な太いスラップベースのグルーヴと、コーラスで丸めたエモ過ぎるギター音色が特色でもある。
北の漁場
1986年作、同じく斉藤恒夫編曲。明言はしていないが北の海なので、「漁歌」や「黒潮漁歌かつお船」と同様、やはり捕獲対象は鰹なのではないかと推測される。鰹はこの際どうでもいいだろと突っ込まれそうだが、鰹が絡んでくる三郎楽曲は例外無く高い熱量を帯びる為、寧ろ重要なキーと見做されるべきであろう。遅れてやってきた80年代ディスコミュージックのようなオクターヴ上下の太いベースがファンキーで気持良い。この曲の歌入り直前に入るホワイトノイズは大波をモティーフとしていると思われる。情景演出もバッチリだ。
旅路
1987年作、シングル「川」B面。同じく斉藤恒夫編曲。存分に歌謡グルーヴでありつつ、且つイントロのPCMパンフルートの音色も相俟って「与作」と同じフォルクローレ演歌の印象もある。唯一無二の楽器としての三郎ヴォイスを終盤で堪能出来るのが良く、フェードアウトせずにもう少し引き伸ばしていたとしたら、セバスチャン・バック時代のスキッド・ロウ「Quicksand Jesus」をも軽く凌駕する器楽声楽の渾然一体感を成し遂げた名曲に化けたのではなかろうかと想像する。言い過ぎ……いやそうでもないか。B面カップリングなのが勿体無い佳曲。
浪曲太鼓
1986年作、同じく斉藤恒夫編曲。何が何して何とやら、浪花節モティーフのメジャー進行楽曲に、なんでもかんでもゲートリバーブをばっさばさ掛ける新機軸。
さすらいの海
1973年作、「海鳥の島」B面。船の男の夢を投影する海に嫉妬する女、というスケールのでかい構図。Aメロの一部だけ変則的に10/4拍子が挟まるが基本は16ビート。この曲の如何にも演歌らしい伸びやかなメロディーライン、強弱緩急共に闊達な三郎の拳回しとよく馴染んでいる。
沖縄の女
1972年作、ご当地シリーズ。沖縄を冠しているくせして至って普通の演歌であり、沖縄音階や三線は一切使用していない(寧ろ盛り込んでいるのはB面の「島の乙女」)。上記同様に16ビートで攻めていて、こちらの方がベースはよく動いている。Aメロ冒頭から入るタメの具合、1番サビ後のトランペットのつんのめるような譜割が独特。後者は寧ろアンサンブルはしっかり固まっているにも拘らずどうしてこうなっているのかが謎で、特に沖縄土着の音楽にはそうした特長がある訳でも無し、興味が尽きない。
海のあらくれ
1974年作。朴訥とした16ビートのグルーヴがじわじわ来る。タイトルの割には朗らかではあるものの、1番と2番の合間だけに突如取って付けたマイナー進行が挟まる意欲作。あらくれ感はその箇所及び曲の結末に集約されている。
太平洋ロック
「海のあらくれ」B面。A面同様やけに朗らかであり、橋幸夫の恋のメキシカン・ロックや辰兄のシンボルロック同様、この時代の曲名に付く「ロック」の曲に漏れず、連想されるようなロックではない。しかしこのほんわかグルーヴ感に変な中毒性がある。例えばUボートのサウンドトラック「Heimkehr」のように、ストリングスのアルペジオによって洋上の波とそこを突き進む勇壮さを連想させる手法はよくあるが、この三郎楽曲の方が最も端的且つ先んじている。勿論大袈裟に言っているのは承知だ。
男の未練
1971年作。ナイスフィルイン。アレンジの軸はボサノヴァであり、こうして色々聴いてみると演歌と雖も純然たる演歌フォーマットに必ずしも固執しない自由さがあるのだなと気付かされる。音域高めのベースがよく動いていて変なグルーヴ感がある。
加賀の女
1969年作。雅楽のような日本の伝統音楽の方針で攻めると思いきや、いきなりサルサ演歌に変貌する。踊る為の音楽という点ではどちらも立派にダンスミュージックと言える訳で、両者を悪魔合体させた楽曲を良しとした三郎の先見の明に敬意を払わざるを得ない。
河岸の石松
1967年作。何々節、のような祭囃子が日本本来の土着ダンスミュージックだという点では、その毛色が非常に強い60年代の三郎楽曲は演歌のカテゴリーではあったが実はクラブミュージックの使徒ではなかったのかと考えさせられる。大分盛った言い種だが。冒頭で三郎の口上が堪能出来るレアな一曲。その達者さ及び瀟洒さ加減は辰兄の「ダイナマイト・ロック」での棒読みの味わいを優に凌駕する。