記憶に残るほど良かったゲーム

某所でゲームの話をしていたのを見て、記憶に残るほど良かったのって何かなと考えてみたもののRPGどころかアクション系しか思い浮かばなかった。しかもゲームプレイしてる当人は物凄く熱くなるんだけどやってない人にとっては何が面白いのか判らない動画でしか無いのが殆どだった件。PS3以降の据え置き機は買ってないので何れも古め。

 

ショベルナイト

Shovel Knight (3DS)

 

エースコンバットゼロ。ドッグファイトを騎士の一騎討ちに擬えた点がナイスな反面、異常に機動力が高い上に散弾ミサイルや短距離レーザーを後ろに向けて放つひどい敵機との最終決戦、というやり過ぎ感。天も地も無く360度ぐるんぐるんとドッグファイトしながらのこの音楽が素晴らしい訳です。オケ+クワイア+フラメンコで尚且つこのクオリティというのもまたチート。技術屋としてのナムコが最も輝いていた時代。

 

スネークイーター。エスピオナージだから冷戦時代のロシアにしよう、という動機は割とさくっと思い付くとは思うんだけど、若きビッグボスの時代まで遡って且つそれなりに史実と絡め、メタルギアの始祖としてロケット開発競争を応用した移動核砲台作ろうぜ、に至るまでの豪快なアイデアが流石としか言いようがない。伊藤計劃が惚れ込んだのもさもありなん。映像のセンスも良く、ゲーム始める際は必ずOP見るところから始めてた。本編終盤の構成は最悪だったけどな。ヴォルギンとかオセロットとか。シリーズ通してのゲームバランスの良さはピースウォーカーかな。

 

ネオコントラ。溢れ出るテレ東の映画枠感およびマイケル・ベイ感。OP後半で巨大ロボット出てくるけど、あれゲームに出てこないから。ゲーム自体はコントラシリーズに違わず一撃死の高難易度で、パターンはそれほど組めない。でも必ずノーミスで突破出来る一点が長い一本の糸のように用意されていて、それを鍛錬の末に見出すのが面白かった。

ステージ4のこの出オチ感とか最高。ステージボスもいいぞ。

 

ソーサリアン。ゲームにおける自分の聖書。箱庭感と異常な数のパラメータ(特に魔法)とシナリオ制といった実にシステマティック&物量勝負な作りが素晴らしい。古代祐三の音楽は言う迄も無く。肝心のゲームとして面白いかとか面白くないかとかどうだっていいんだよ!これは「こういう環境」なんだよ!だから家にあるXPのネットブックはネットワーク切ってSORCERIAN COMPLETE専用PCにしてるよ!

 

MSX版メタルギア2。MSX最後のコナミ作品ということで、ROMなのにゲーム中にロード時間が発生するぐらいの頭のおかしさ。このOP映像は表示領域外とスクリーンの裏側(SCREEN5だから512x212ドット16色の4枚だったかな)にアニメーション用のスプライトを持っていて、背景や単純な動きはプログラム側で処理。VRAM128KB。この時期のSCCドライバにおける「バグがあって音色データどころかプログラム領域まで読み込んでたけどイイ感じだったのでそのままにした」って話超好き。
この時代のコナミMSXの音楽を多数手掛けてた人がある時期を境に全く作らなくなったのが不思議で、あるとき竹ノ内さんに世間話がてら聞いてみたことがあった。詳細は伏せるけどご健在なのは確か。

 

グラディウス2。独自発展したMSX版グラディウスシリーズ。MSX1(RAM64KB)を基準としながらとんでもない物量を主に工夫で仕込み、しかも凡そそこまでゲーム自体に絡まない年表やバックストーリー設定で取説を埋めた「打倒ファミコン」目標のやり過ぎ感が今尚光る。デモ画面であの規模のストーリーを流すなんてことは当時どのゲームにも無かった。しかもRPGでもないのに。

 

R-TYPE TACTICS。FINALでのR系列103機体を活かして、シミュレーションに置き換えたR-TYPE。シンプルなゲームシステムながら想像以上に置き換えと使い分けが巧く出来ていたし、デルタ以降の「バイドは何処から何の為に地球へ来るの」問題を具体的に追ったシナリオにしていたのが良かった。涙無くしては語れない。

 

メタ視点を前提としたセカイ系ゲームの奔り、ガンパレードマーチ。学徒動員なのはともかく簡単に周囲のNPCが死んでいくので(恋愛パラメータもあって、二股をかけると場合によっては自分が刺されて死ぬ)、如何に自分がエースになるかが肝になるシミュレーションゲーム。弱い敵ユニットを一点に集めてミサイル飛ばしたら、刀を装備してコマンドをFSVGFFGVにすると大体勝てる(勝ち過ぎるとゲーム前半で降下戦イベントが発生して地獄を見る)。
『絢爛舞踏祭』の方が全体的に落ち着いているし、作曲がUltra Livingの野中太久磨なのが良いのだけど、パラメータとシナリオの相関が複雑過ぎるので、程々の難易度とカジュアルさの面でGPMに軍配を上げる次第。
ディレクターの芝村裕吏は現在作家になってて、相変わらずOVERSに絡めた本とか書いてます。

 

ガジェット楽器で遊んでいた頃に作編曲家氏から勧められたIngress。当初はgoogleのスピンオフプロジェクトだった故、社会実験とよく言われていた。Nianticとして独立して以降はそう言われなくなってしまった。これは何というかARゲームと言うかソシャゲと言うか、ポケモンGoの前身・おじさんGoと言っても過言では無い。ここ一年ぐらい半ば飽きてて出勤退勤時ぐらいしかやってないが、それでも地元のおじさんをよくゲットしてしまう。
一言で説明すれば、実地でひたすら自陣営のフィールド(三角形)を作るだけの賽の河原ルールであり、所有するのはアイテムと実績だけであり、これだけをやるとゲームとして余り面白味は無い。だが、味方も敵も現地に居る生身の人間であり、現地に行かなければ何も出来ない、という面で新たなUXを提供してくれる。先ず人生一度も行かないであろう場所もこれの為に赴いてそれなりに楽しんできたのは事実だ。そして殆どおじさんしか居ないので、可処分所得に物を言わせて共に遠方のミッションへ出掛けて飲み且つ喰って命の洗濯をエンジョイするのはまだしも、たかが三角で実地を覆いたいが為だけに世界規模で連携する、といった非常に大人気無い面白アクションも可能だ。眺めるのも参加するのも自由。勿論熱くなり過ぎたが故のどうでもいい衝突も往々にして発生するが、この辺りに関してはユーザー年齢層が高いが故に自浄作用が強く大事には至らない。

Ingressを通じて得られる主な知見の一つとしては、大多数の人間はResistanceという響きがとても大好きである、という点だ。国内外を問わず、勢力の大半がResistance人口で占められている。盤上では明らかに人数比からプレイスタイルに至る迄、Enlightenedの方が笑ってしまうほどResistanceのそれと化しているにも拘わらずだ。反体制側が王政を覆す歴史を作ってきた欧州に至っては眼も当てられない程に(ISでIngressがプレイ可能だったらどんな比率になるか興味が尽きない)。何せ運営にしてもβ当初から殆どがResistanceだったという話があるぐらいだ。そして、それ故に鞍替えした方が余程本来的なResistanceとしての根幹や愉しみを享受出来る訳だが、そのような動きは殆ど存在しない。人はResistanceというシーニュに簡単に惑わされ満足する。これが肝であろう。

Ingressはアノマリー(という公式イベントがある)の勝敗によってストーリーが変わっていく、との触れ込みで運営されている。日本国内に於ては上述の通り、構成人数ではResistanceが圧倒するので物量勝負殴り勝ちなのか……というとそうではなく、初期アノマリーのCassandra以降、何故かEnlightenedが全勝している。しかも接戦どころかワンサイドゲーム状態。両陣営全く同じ条件下で行われるAgent Olympiadで漸く拮抗する。つまり頭数では無く連携と戦略なのだとか指摘出来る好例のようだが、実際のところ、キャッチーなResistanceを拒否してわざわざEnlightenedなどというフォースの暗黒面をどうにかしたような方を選ぶような人材の知性が往々にして変態的なのが予めバイアスとして在るだろうと私は考えている。
ちなみに、ResistanceからするとEnlightenedは軍隊のように見えるらしい。一方EnlightenedからするとResistanceはオリエンテーリングに見えるらしい。アノマリーに於てはResistanceは点と線で動き、Enlightenedは線と面で動く。Resistanceの得意技はノヴァ(1つのポータルに向けてリンクを引いていく)であり、Enlightenedの得意技はBAF(県またぎ若しくは大陸またぎでフィールドを張り巡らす)である。本拠地制圧では勝敗が決まらないルールの戦争で、地形と状況を鑑みて確度の高い戦略を選んで実行するのか、或いは物量で押し切るのか、ピンポイントなゲリラ活動をするのか、その辺りの相違は陣営毎にとても明確に表れている。何故かその点で言えばResistanceは、数で勝っていても尚全く以て定義通りの忠実なレジスタンスである。
話を戻すが、ストーリーである。Enlightened陣営が勝利する度に「余計なことをするので問題が生じた」的な流れになり収拾が付かなくなっており、イベントルールも回を追う毎に物量で勝敗が決まる方針に変化しているのが実情だ。従って、ストーリーとしてはResistanceの勝利が最初から用意されているだけの一本道か、或いは共闘の実現に依るNPC第三勢力打倒エンドだと数年前から確信している。どうせならもっと収拾が付かなくなる方向になるよう、半ば公式に虐げられる側として企んだり騒いだりする方が余程レジスタンスっぽいと私は思うのだがどうだろうか。

ところで、NianticがまだIngress以外での展開をしていなかった頃、CEOのジョン・ハンケはよく来日してはエージェントとのミートアップの機会を持っていた。エージェントの溜まり場ともなっていた宝町のとあるバーで数十名規模という小さなミートアップでも彼はわざわざ赴いてきた。その時、私は一対一で直接ハンケに尋ねたことがある。「Holoholoでは一体何があったのか、何の思い入れがあるのか」と。
Holoholoは表参道駅の少し南側にあった小さなブラッセリー(2019年閉店)で、そこはハンケ自身がEnlightenedのエージェント・aceとして生やしたポータルになっていた。当時職場が外苑前だったこともあり、渋谷までUPC稼ぎの為に歩き回っている最中に偶然気付いたのだ。ポータル説明にも「The place where it all began...」というace自身の記述があった。表参道には非常に数多くのポータルが存在しているが、そのすべては国内エージェントによるもので、その一箇所だけがaceによるものという不自然さだった。また現在はどうか知らないが、Ingressや初期のポケモンGoでNianticが自前で開発していたライブラリのクラス名の一つがHoloholoでもあった。ハンケがNiantic設立よりもGoogle在籍よりも前、Google Earthとして吸収される前に所属していたKeyhole Incと、In-Q-Tel(CIAに依るベンチャーキャピタル)の関係を絡めて考えたりしてしまうと尚更気になって仕方がなかった。エージェントの間ではこの件に関して当時誰も話題にしていなかったのだが、私はずっと引っ掛かっていたのだ。
しかしハンケは明確な回答はしてくれなかった。それをよく知っていたね、今はまだ詳しく話すことは出来ないが、来るべき時が来たら必ずお話するでしょう、と。はぐらかされたぞおい、という感想は扠措き、それをいつ公にしてくれるのか、未だに私は待っている。

ingress

追記:
その後「Ingress PRIME」と銘打ち、アプリがver2に移行した。画面がモダンでとても綺麗になった反面、想像を絶するUI/UXの劣化により、少なからず脱落者が生じた。最早アクティヴユーザーは全盛期の一握り程度と言われているが、今尚ポケモンGoで資金潤沢であることと、Ingress古参ユーザーの秀でた自治能力とポータル情報提供および管理能力の貢献によって未だにサーヴィス継続されている。
ストーリーはあろうことかアノマリー初期のCassandraまで巻き戻り、ほぼやり直し状態となっている。公式では並行世界だとレッテルを強引に張っているが、じゃあver1の世界線はどうなっているのかと言えば、ver1自体が消えたので、この数年のストーリー動向は見事に反故、破棄である。どう考えてもResistanceの大勝利で終わる一本道シナリオを改めて踏襲したいが故の動機であることが最早明確になった。ジョン・ハンケは既にIngressから離れて久しく、開発運営も最早Nianticとは疎結合と化している。何と言うかもう公式八百長試合を続けるぐらいなら強制的にResistance勝利にしてさっさとサーヴィスやめちまえよ、という気持にしかならない。私はな。

Ingress
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