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selecta9 #私を構成する9枚(文学編)

いろんなひとがやってるのでやってみた。小説とか。

 

神林長平 / 戦闘妖精雪風
SF義務教育本・国内の部。読むアビオニクス。通称ジャムと呼ばれるよく判らない敵性体の迎撃をする傍ら、FAFと雪風(戦闘機)のAIが人間が通常把握可能なデータ群の外で策略と戦闘を繰り広げ、それを人間側が解釈しながらジャムとAIの真相に近付くという三軸。AIからの神性への接近という今時よくある提題なものの、初版はなんと1983年。長平ちゃん自身は当時からPCあんま触ってないというのによくここまで今現在を予見したなというSF予言の当たりっぷりが見事。OVAではブッカー少佐の声が変にエロかったりやたらBL臭くなったりしてましたがそれもまた良し。エヴァンゲリオンのデザイナーに依る雪風の造形は圧倒的に格好良いです。

 

P・K・ディック / アンドロイドは電気羊の夢を見るか
SF義務教育本・海外の部。基本。当たり前ながらブレードランナーとは違います。

 

ビル・ブルーフォード自伝
King Crimsonのビルブラ先生自著。仮想の質問を章立てとして、イエス時代、クリムゾン時代、ソロ時代と分散してドラマーとしての領分を前進させるべく頑張ったという回顧録。英国紳士らしく大分ひねくれているものの、ロバート・フリップ程アレでは無い程度にクレバーな御仁。ミュージシャンとしての哲学は当然として、ドラマーとしてのビジネスに関する記述が非常に面白いです。

 

高村薫 / リヴィエラを撃て
通称リヴィエラという名のスパイを巡るMI5、MI6、IRA、CIA、警察の諜報戦。様々な犠牲を経た挙句全てを失い、しかし一握の安寧が生まれるといったパンドラの箱的なカタルシスがもうね。高村先生はハードカヴァー版と文庫版とで内容をリミックスレベルで変えてしまう人なので両方を押さえる必要があり要注意。あと年季の入った腐女子なので、大概の著作にBL要素が入ってます。『李歐』に至ってはどうかしてるので腐女子な方はそちらも。

 

佐藤亜紀 / バルタザールの遍歴
学生の頃に新潮文庫(当時まだ『鏡の影』問題で平野啓一郎と揉める前だった)版を読んで、日本で最も学術的に文学を俯瞰した上で物語を書ける天才だと思った。その評価は今も変わってない。あと度々舌禍を呼び込むぐらいには口が悪い。だがそこがいい。それ故に正当な評価をされていない気が。『外人術』のようなエッセイや『小説のストラテジー』といった大学の講義ベースの著作も秀作。

 

中島敦全集
よもやのネット世代からのネタ的な再評価を受けている、ナルシシズムと自己承認欲求を大いにこじらせた先鞭。先駆的な位置付けではウェルテルくんがありますが、ちょっとあれは確かに一遍死んでおいた方がいいよというぐらいアレなので、やはり近現代的な整合感として山月記が圧勝。他の作品も勿論良いです。同じタイプの狼疾記とか或いは名人伝とか。日記もいい。

 

カフカ短篇集
ガルシア=マルケスの『エレンディラ』と悩んだけども。『変身』や『審判』以外にもねじれた(またな投げっぱなしな)面白い作品をひっそり書き溜めていたんだよということで取り敢えず「父の気がかり」「掟の門」。

 

トーマス・マン / ヴェニスに死す
いい歳こいたおじさんが超絶美少年に惚れ込んでストーカー行為に及んだ挙句ペストで死ぬという大変に情けない粗筋ですが、至高であると認めた対象を克己的に追い求める徒労を続け、やがて陶酔と諦観の入り交じる愉悦と共に打ち捨てざるを得なかった物語として読むのが正しい。多分。訳文体と相俟って大変に美しい文章表現の凝縮された作品。BLの基本として押さえとけ。ちなみにヴィスコンティに依る映画版も超絶美少年(ビョルン・アンドレセン)を起用してるし、何よりおじさんのキモさがほんといい按配なので一度見とけ。

 

フーコー / 精神疾患とパーソナリティ
フーコーと言えばハイデガーの流れをひき『監獄の誕生』を経てデリダやドゥルーズと共に並んだポスト構造主義者として有名ですが、そもそもはこちら側から出発したひと。古典的な精神分析学(時代的にはしょうがない)でありながら既に社会学とオーバーラップしている点が非常に興味深い訳です。ところでフーコーはホモでした。いや決してそういう観点で選んでる訳じゃないんだけども。同じ畑で言えばウィトゲンシュタイン、理系であればチューリングも然り、根源的な箇所でのマイノリティが知恵と思想をより深く掘り下げる原動力になる節があるなら目立つのも当然だろという。尤もポスト構造主義は死んで久しい訳ですが。

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