当時ゲーム音楽一辺倒だった自分が初めて『Heartbeat』と『Gruppo Musicale』を手にしてその多彩さに驚き、同じく当時リリースされたYMO『Complete Service』のアレンジと豪快な倍音の洪水に色めき立ち(野暮な付記ではあるが、あの散開ライヴの仕込みオケは教授の手による)、ヴォーカルに依存しない音楽の正当性やジャンルの自由奔放さに確証を抱かせてくれた最初のアーティストだった。更に言えば、アーティストとしての人の形を具体的に意識した最初の一人だった。シンセで自由に作曲してみたいと思い立ち、幼少期に嫌いで仕方無かったピアノに再度自発的に向き始めたのも、教授の曲を弾こう、と思ったからだった。大方想像が付くであろう通り、自分の鍵盤に関する手癖はその時の影響以外の何物でもない。
ただ、アーティストという認識は音楽面だけだったらそこまでは長く深く気にしたりはしなかっただろう。決定的に一線を画していたのは教養主義的な面での知性にあった。それは細野晴臣や高橋幸宏も同様ではあったが、当時の構造主義を端緒とするポストモダン勢を相手に平然と会話出来得るような、且つそれを出版物として耐用し得るクオリティで成せる(『Ev. Cafe』なんかは飽きもせずよく読んだものだった)ミュージシャンはそう居ない。
往々にしてそれが音楽へフィードバックされるものだから、一見して音楽的に面白くなさそうな(現代音楽の亜型或いは「なんだかよくわからないが音楽っぽく音が鳴っているもの」として簡単に片付けられがちな)楽曲の背景には実は現代思想からの変換が前提にあり、聴き手がその部分を解釈し得る一定の教養を持たなければ音楽作品として成立しにくくなる、といった弊害はあるにはあったが。しかしそうした、音楽以外の要素からもアプローチされている多層的な構造を持つ音楽、或る種ケージ作品のようでもあるが、そこには人間の知性に対する信頼が明確に示されている。
偶発性の音楽も良い。IQが3ぐらいしかなさそうな音楽もまた良い。だが音楽をただの音楽には留めず、知恵ある者の知性を別の知恵ある者の知性の反射を期待して彫り込む。それは間違いなく、個人という物語を生来作り続け、且つ教養となる知性を物語と共に育み得る人間にしか成し得ない所業と言える。この交響楽成立以降のクラシックの温故知新のような構図を脱構築的に実践した(しかも息を吸って吐くぐらいの温度感でだ)、教授の影響から逃れる術を未だに知らない。
アーティストが逝去する度に記述や蘊蓄のネタにするのは云い加減に止めようと決めたので、教授に関しては個人的な思い入れだけを記しておく。楽曲には触れない。