ボックスセット『HEAVEN & EARTH』に関してはこちらにまとめてあるので、此処では『The ReconstruKction Of Light』に関する所感をつらつらと書き連ねる。
本作は『The ConstruKction Of Light』のリマスタリングだけで無く、ドラムパートをアコースティックドラムに丸ごと差し替えた上で、それに合わせたミックスをやり直している故に「ReconstruKction」とされている。何故この作品だけが再構造なのか、については二つの理由がある。
先ず第一に、『The ConstruKction Of Light』のドラムパートのADATマスターを保管していたエイドリアン・ブリューの個人スタジオのエンジニア、ケン・ラッチニーが急逝し、所在が不明になってしまったこと。一つのスタジオアルバムのマルチトラックマスターが複数箇所に分散しているという謎な保管状態もそうだが、適正とは言えない管理が原盤を損ねるよくある例だと言える。て言うか処分されてしまった筈は無いだろうからしっかり探しとけよ、とも言いたくなるが。
第二に、ロバート・フリップ本人が、V-Drumの導入に因る打ち込みループとの兼ね合いで平板になってしまったこの作品のドラムパートを気に入っていなかったことがある。「クリムゾンの他のどのスタジオ盤よりも音楽の力を伝えていない」とまで言い切っている。ループやシーケンサーの介入を頑なに拒んで生演奏の精神に回帰している今現在のフリップを見てみれば、成程そんな風に失敗作扱いする気持も解らない訳では無いが、当時の自分の音楽的イディオムの抛棄を「ドラムが悪い」と投槍に転嫁するような態度でもあり、ミュージシャンシップとしては余りよろしくないとも言える。そもそも当時は随分自信満々に制作日記を綴っていた訳でなあ。
『The ConstruKction Of Light』はその当時に至る迄の並居るプログレ文脈の作品では、文字通りプログレッシヴの王冠を戴くべき対象だった。1997年ナッシュヴィル・リハーサルでのダブル・トリオの解体、エレクトリックドラム主体でやるべきだとの提言に難色を示したビル・ブルーフォードの脱退(ブルーフォード自伝では、それだけでなく、本来フリップのクリエイティヴな主導に対して横槍を出さない契約だったがナッシュヴィルで意見してしまったのが決定的な決裂だとしている。それへのフリップの回答は『The Collectors' King Crimson vol.2』の日記で確認出来る)、そこからのバンドの再構築、ProjeKctとして様々なメンバー構成と音楽的方針を通した次回キング・クリムゾンへの模索──約三年のそうした試行錯誤を経てリリースされた『The ConstruKction Of Light』は、どの過去作品よりもクリムゾンらしくなく、しかし確実に『THRAK』の先に位置し、サウンドエンジニアリングの面でもその当時の音楽的な在り方を着実に捉えたが為に、比類無き現在形のプログレのアルバムとして完成されていた。1969年の『In The Court Of The Crimson King』から31年経過して、此処迄時代と乖離せずに己の姿を変貌させきったプログレのバンドは(或いは60~70年代から連綿と活動し続けるバンドは)他には皆無だった。プログレに於ける支持年代が古いという性質上、恐らく当時誰もその事実を踏まえた評価はしなかったと思うが。少なくとも私は仄聞した経験は無い。
そのような評価をしていた故、『The ReconstruKction Of Light』に対しては、今頃わざわざ生ドラムに差し替えるとは何と野暮なことを、途端に前時代的になってしまうではないか、と内心嘆いたものだ。しかしこの落胆は翻れば、方向性こそ違えどオリジナルメンバー至上主義の姿勢と何ら変わらぬ無理解の凝集に過ぎないとも指摘し得る。受け手は購入したプロダクトに対して良いか悪いかを自由に評価することが出来る。だが、何が良いのか、何が悪いのか、それらをどのように批評すべきか、を明確にしてこそ、我々受け手はそのバンドやプロダクトを愛でるファンであると言える。
では、『The ConstruKction Of Light』と『The ReconstruKction Of Light』のどちらが良いかと言えば、困ったことに何れも良く、何れも良くない、結局双方があって一つの作品であるような評価にせざるを得ないのが自分の所感であった。端切れが悪くて申し訳無い次第ではあるが、正直な感想だ。
端的に比較すれば、「前者はモダンであるが、後者は前者の立ち位置よりも後退した」、「後者のミックスの立体感に因って、前者はドライで薄いミックスであることが露呈した」といった二点にまとめられる。
前述した通り、『ConstruKction』に於ける、エレクトリックドラム主体にしようという当時のフリップの着想は正しかった。しかし『ReconstruKction』でそれを自ら否定してしまった瑕疵は大きい。時代を逆行させてしまい、当時の目新しさをスポイルする結果となってしまった。アコースティックドラムの音でさえあればライヴ感を得て劇的に変貌する、などという訳でも無く、今のマステロットの叩き方とメタルっぽいスネアの重みが加わったことで却って鈍くもっさりとした印象が際立つようにもなってしまった。スネアが多い場合はチューニングを上げて寧ろ軽くするのが最適解で(だからブルーフォード在籍時の楽曲をメタル勢がカヴァーするとコレジャナイ感が浮き彫りになってしまうのだ)、故に『ConstruKction』の無機質さやスネアの軽さはバランスや手数の面では理に適っていた、と判定せざるを得ない。
但し、『ReconstruKction』のミックスは流石に二〇年の音響機材の進歩もあって非常に良い。あの当時でも音質的に充分だったと思っていたが、こうして比べるとまだまだ機材とエンジニアの力量に依って良い方向へ変わる事実を突き付けられた。トラック毎の分離が良い為、立体感が増した。勿論、フリップの言う「音楽の力」を引き出すことに専念した為か、現行クリムゾンのようにライヴ盤にもスタジオ盤にもなるミックスに近い位置に寄せられたとも言える(特にギターは中域が強調されたことで人間臭さが強調された)。確かにこれは今の解釈であろう。
どちらからも失われなかったのは楽曲の堅牢さに尽きる。クリムゾンの存在意義の一つであるインプロヴィゼーションの要素が外された(但しインプロそのものを外部化することで対応していた)故の楽曲構造の強度であり、ダブルトリオ期に続いて80年代の継承が更に突き詰められた形がこれだ。ガンとマステロットのスタジオミュージシャン的な忠実さがシナジーを生んだ結果も大いに影響している。仮に、アコースティックドラム志向を表明していた当時のビル・ブルーフォードが若し在籍し続けていたとしたら、決してこの鉄壁の様な完成度には到達し得なかっただろう。だが仮に、『ReconstruKction』でブルーフォードが叩いていたとしたら、『ReconstruKction』は拍手喝采を浴びただろう。
依然として『The Re/ConstruKction Of Light』はオリジネイターによる二一世紀屈指のプログレアルバムだと断言していい。「The ConstruKction Of Light」も「Larks' Tongues In Aspic: Part IV」も「FraKctured」も、間違い無くキング・クリムゾンの全歴史の混淆から生み出された、当時最も先端のプログレであったことに相違は無い。
リコンストラクション版「FraKctured」。生ドラムによるダイナミズムで生気に漲る印象が出て、時代を問わぬようになりはしたが、本作の曲調とスネアの音が今一つ合っていない故のもっさり感は拭えず。
元々の「FraKctured」。V-Drum主体により平板な印象は否めないが、こちらの方が鋭さがある。当然だがこちらの方が当時の音楽シーンを正しく反映している。
「The ConstruKction Of Light」。聴き流しているだけだとギターはすっきりしているように聴こえるが、こうしてタイミングの取りにくい奇数拍と拍変化の上で且つ正確なアンサンブルで演奏する訳で、他の楽曲とは別の意味で鬼のような難度を誇る。
来日公演での『Larks' Tongues in Aspic Part IV』。曲調を問わずエイドリアン・ブリューが剽軽なのは平常運転。
元々の『Larks' Tongues in Aspic Part IV』。私はこれが最も好きだ。演奏技術とテクノロジーとがよく馴染んでいるので。