マイルスの70年代音源では何故か聴いてなかった&廉価盤ということで。前者はもっと早く聴いておけばよかった。最初の「Turnaroundphrase」は勿論「Tatu(Part 1)」って言うか「Prelude」のヒップホップ感なんかは今の解釈で聴くと大変に新鮮。
後者はまだ絞り切れてない感が節々にありつつも「Ife」で安定を齎している印象。エイドリアン・シャーウッドにダブミックスしてほしい。
この時期のマイルスに関しては、マイルス自身のそれは自ら厭わしさを表明していたフリージャズで無かったとしたら何なのだ、ソフト・マシーンのようなカンタベリー系やグレイトフル・デッドに端を発したジャムバンドの一形態では無かったのか、「あーMachine Gunみたいなのをやりたかったわ」と自ら言った(とされる)ジミヘンのブルースロックの部分ではないのか、という疑問が長年拭えない。己の源流を始めとした音楽に於ける全てのブラックを己の監督下で混淆したかったという思いの末であったのなら判る。マイルスが吹くからマイルスの奏でるジャズなのだ、というしたり顔満載且つ今更な捉え方も同意するけども、そうであれば尚更にトランペットを手放さなかった(合間にオルガンでコード弾きやクラスター弾きをするのが精々)故の呪縛を自ら呈示してしまっていたのではないか、等と色々考えてしまってだな。些か神格化し過ぎではなかろうかと。まあそりゃ当然好きなんだけどさ。計画的に過ぎるとそれはもう方式からライヴの様相に至るまで菊地成孔のDCPRGがやったから良いじゃないかという話にも行き着いてしまう訳だけれども。
そうした点ではザヴィヌルの「Directions」を中心に据えていた1970年が最も均整の取れた姿だなという認識でいる。フィルモア公演の頃。
近い時期の「Turnaroundphrase」