THE FALL OF A REBEL ANGEL / ENIGMA
すっかり忘れた頃に、8年振り8作目。6作目の『A POSTERIORI』以降、全くあのENIGMA本来の特性とは関係の無い似非トランスになっていて、ああマイケル・クレトゥは最早「教会の空間と民族的な恍惚感」という当初のあのグレイトなコンセプトを忘れてしまったのだな、とがっかりしてしまい期待してなかった。7作目の『SEVEN LIVES, MANY FACES』は若干軌道修正されたけれども、室内楽的なストリングスの使い方が(ENIGMA的に新しいと言えば新しいが)却ってこの手合の粗製乱造にオリジネイター自らが踏み込んでしまっている印象が拭えず、其処迄評価する気にはなれなかった。
根本的な違和感はそもそも『VOYAGEUR』の時に既にあって、それは何なのかと言えば単純に「リズムが強過ぎる」という点だった。観念的に表せばモダニズムに傾き過ぎたと言ってもいい。恐らくはジェンス・ガッド由来のアプローチであろう、エレクトロ的に緻密な打ち込み方をされたリズムループと如何にもゼロ年代以降なエッジのあるキック、空間をほぼ排したデッドな音像は半ば以上ENIGMA自身の特長の自己否定に他ならなかった。ヴォーカルからリズムに至る迄、過剰とも言えるリバーブで包み込むことで表現された「教会の空間」の神秘性、その法悦に通ずる艶やかな陶酔と背徳との混合、ひいてはアストラル的な「空間を漂うもの」を自らを主体として配置する設計になっていたことが即ち冒頭で触れた「あのENIGMA本来の特性」、ENIGMAの基礎の一つだった訳で(他はクラシックのサンプリングと土着的コーラスとの溶融があって、これも抜け落ちてしまって久しいのだけど今回省略)、そうした包括的全体的な空間を自身が否定し続けていることが以来長く違和感の原因として残った儘だった。
(こういうのは所謂変化であってそれに追随出来なければ聴き手としては云々、というお定まりの言い分もあるけど、そのアーティスト所以たる元来の持ち味を捨てることは変化であっても良い変化とは言えないのだよね。程度問題は扠措き。)
しかし今作は思いの外、その辺りが巧い具合に回帰している様子が見られて結構良かった。件の空間が生きて其処に在る、と感じられるのは喜ばしい。リズムで今更なエレクトロニカのグリッチをふんだんに盛り込んだのも違和感が無くて寧ろ正解と言っていい。最も均整の取れたENIGMAたる『THE SCREEN BEHIND THE MIRROR』の路線に近く、特に「THE DIE IS CAST」「OXYGEN RED」辺りがとても聴きたかった特長を示していて嬉しい。インスト系でも「TRACES」とパッド音色がほぼ一緒な「LOST IN NOTHINGNESS」の耳触りがとても心地良い。
今作の一つの指標でもある「SADENESS Part II」は、「Principles Of Lust (Everlasting Lust)」からの逆輸入のようで、Part1との関連性は其処迄強くはないが、サドの放埒なセクシュアリティ及び背徳礼讃としての主張は当時のグラウンドビートよりもこちらのチルアウトの方が説得力はある。『MCMXC a.D.』の再解釈で言えば、それよりも「MOTHER」が寧ろ正しいのではないだろうか、という感じだけども、基盤を失わずして最適な姿にアップデートされた意味ではこれもまた是とするべきなのだろう。
ヴォルフガング・ベルトラッチの諸作(その名に反した凡庸な)を全面的に使用したアートワークの意図に関してはまだ読んで/調べてない。単純に技術や表現として過去を示すが現代に描かれたものだから、という構図では無いだろう。あくまで今自分が判る段階で表層的に捉えるなら、技法や筆致や当時の色を精緻に研究した上で客観的に贋作を描き、それなりの価格を与えて世に放流し、観衆やブローカーは勿論キュレーターに至る迄見事に欺き続けた稀代の贋作師が改めて明るみにした(事実が判明してから晒された)、例えば本物とは何なのか、例えば価値とは貨幣価値でしかないのか、例えば本物だと前提する審美眼とは根本的にそうであり得るのか、例えば種明かしされるまで本物と信じて疑わなかったお前の認知は何なのだ、といったオリジナル至上の立場を絶対とする構図への数多の欺瞞を、一連の凡庸な絵に代えて「自分自身で贋作を作り炙り出すような」内省の巡礼・自己批評的な物語として織り込もうとしたのではないか、と批評することは出来る。
そもそもENIGMAはどういう訳か昔から贋作が多く、丸々一枚贋作のアルバムが流通したり、或いは出たばかりの新曲をyoutubeで探したりすると本物がまるで見当たらない事態があったりする。それに対する諧謔と言っても強ち遠からずとは思っている。
如何によく出来ていてもそうした贋作に引っ掛かったことが無い程度には判別は出来ている心算だが(まあよく出来てないからこそ直ぐ判るというのもあるけど)、自分のような者にしてみれば、言うなれば諧謔に依って作られる自己贋作のような本作の存在に嬉々としているということでもあり、前半で記述した内容は詰まる所、絶対的な尺度に縛られた愚かしさを顕にしていると言われているようなものだとも言える。尤も自分の望む刺さり方をしてくれさえすれば良い立場なので、後ろめたさや恥は特に感じたりはしない。仮に、実は全編クレトゥ作ではない、と言われても、驚きはするけど、寧ろ最高の後継者が居ると判れば安泰だし、自分の望むツボをいい感じに揉む以上は然して変わらず愛で続けると思う。
て言うかこんなの書いてる暇でCD2のストーリーの語りを聞くとか具にブックレットを読むとかしろよ、という話だが放っとけ。まあ兎も角あれだ、ENIGMAと言えばクリシェ進行と過剰なリバーブだよやっぱり。
Enigma - Sadeness (Part II)
Enigma - Amen
Teaser - Lost In Nothingness | The Fall Of A Rebel Angel
Teaser - Oxygen Red | The Fall Of A Rebel Angel
以下、ENIGMAと言えばこれだろ的楽曲×4。
Enigma - Gravity Of Love
4th。カルミナ・ブラーナをサンプリングするケースは数多あれど、ここまで見事に溶け込ませた例を他に知らない。
Morphing Thru Time - Enigma
3rdから。宗教的に天空を封じ込めた空間と射光に対する表現力は随一。
Enigma - The Eyes Of Truth
2ndでウケたのは「Return To Innocence」だが、エスノとモダニズム、原始信仰と近代宗教との均整の点でこれを推す。
Enigma - Callas Went Away
1stから。現在に至る迄のアーキタイプと言ってもいい、基本的な要素がほぼ詰まっている曲。タイトル通り、マリア・カラスをサンプリング。