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Constant Linear Velocity / Stephen Cornford

スティーヴン・コーンフォードの新作『Constant Linear Velocity』は、7インチサイズのブックレットが付いた(久々の)CD作品である。廃棄となった100台近くのデスクトップPCを絶壁の如く積み上げ、CD-ROM/DVDマルチドライヴにピックアップとアンプを仕込み、スピーカーを取り付け、ディスクを読み込んだ際の回転音とエラー音、ドライヴからの排出音を表現させる為のインスタレーション「Constant Linear Velocity」が音源元となっている。2016~2018年の間、イギリスとギリシャで不定期に展示され、最も大規模な展示となったデトリタスの後、空輸中に作品の大部分は失われたとのこと。コンセプトで言えば日本でも展示されたあの『Binatone Galaxy』と似た内容でもあるので、このグリッチ系の電子音・機械音を聴けば、コーンフォード好きなら先ず間違い無く納得するだろう。
何時も通りに所感でもつらつら書こうと思ったが、今回は寄稿及びアーティスト本人によるライナーノーツが充実している為、代りに意訳しておくことにする。独特の言い回しは日本語のニュアンスとして伝わるように適宜変えている。それでも日本人の感性として意味不明な箇所はあったので、マジ意味判らねえなと思いつつ適当に茶を濁してはいるが。

 


トーテム/残骸

2018年1月29日月曜日、午後12時30分。オナシス文化センター・アテネの裏通り、溢れたゴミ箱の隅に皺だらけの垂幕が打ち捨てられていた。ゴミ袋には白のフォントでこう書かれていた:「デトリタス(残骸) |劣化したメディアからの新しい音楽| 2018年1月26日-28日」。私は自分の眼で直にこれを見た訳では無く、ゴミ箱の中身が処理場へ運ばれた時のFacebook上の画像として数時間後に体験したに過ぎない。私はいいねを押した。地球は太陽の周囲を一周し、一年が過ぎる。カチカチ、チクタクと。

オナシスセンターは広大な迷宮のような建物で、内部面積は最大18000平方メートル、メインフロアは高さ5階分に及ぶ金色の卵形の建物の中にある。各階の踊り場にはほぼ同じ意匠のロビーがあり、その煌びやかな中央部を一望出来る形となっている。ロビーの四方はガラス張りで、遠方に古代遺跡とストリップクラブが立ち並んでいる様子を顕にしている。各ロビーの両側に対称的に配置されたエレベーターは常に行き来していて、来場者が昇降する度にミッドレンジのビープ音が空間中に響き渡る。メインフロアの休憩時間によって来場者数は潮騒の如く満ち引きしていく。例えひとときであっても程良い場所に拘るのなら、中間を見つけて佇むことだ──室内の騒々しさが静かな室外へ抜けていく処、うまく注意が逸れる処の。

私にとって最初にして唯一であった『Constant Linear Velocity(CLV/線速度一定)』との遭遇は、Yannis KotsonisがキュレーションしたOCCでの『デトリタス(残骸)』の3日間の展示期間だった。それは建物の4階のロビーにあり、一見トーテム構造のように佇んでいた。何ダースものPCケースが天井に届くほど綿密に積み重ねられ、(補:そこから発せられる)その音は、(補:見た目とは全く)別面の、より壊れやすく儚い表層の存在があることを示していた。
この廃棄機器の集合体は、心地良く且つ不安な脈動を発していた。長く引き伸ばされる静寂が、より不規則な密度のモーメントに割り込まれながら。ディスクトレイは届くことの無い終着に幻滅し疲弊しきった機械の舌の如く、ただ静かに開閉されていた。

 

サイクル/巻き戻し

私達が日常的に使っている物──ますます非物質的な文化の基盤となっている精密機器類は、機能している時は生命的な活気に満ち溢れ、役割を終えると厄介で邪魔な物へと変貌する。私達が機材を壊れたものとして認める時、或いはそれらが壊れ得るものと認める時、主体と物象との間を分かつ溝は曖昧になっていく。その際、私達自身が秘める機巧の何らかが詳らかにされ始める。私達はテクノロジーと同じくらいリアルな存在なのだ。

「アメカニア(Amechania)」という、現代ギリシャ語ではネガティヴな含みを持つ言葉がある。通常それは「不自然さ」と訳されており、ヘロドトスは無力の女神または魂の意を指して言及した。アメカニアは貧困の魂に寄生し、繁栄や発展に敵対する者であり、ネガティブな女神である。文字通りに解釈すると、この言葉は「脱機械化(de-machination)」、機械の欠如の状態を示唆している。機器や構成要素が欠けている故に自動化された所作を期待出来ない場合もまた、その識閾の状況と言える。こういう時の機械はそのように動くべきと期待される通りの動作をしない。メカニズムはループから外れ、スクリプトを読み込めず、予期していない副産物(補:エラー、繁栄や発展を否定する物や状態)が代りに生成されてしまう。

現代用語に置き換えれば、アメカニアは「脱成長」の女神と言えるかも知れない。多くの時代遅れの機器の筐体内──その短い製品ライフサイクルの中で、デジタルなゴミを作り出す場としての物理空間を思い起こさせる──に息づいている。(補:『Constant Linear Velocity』が示す)この一つの絶え間とは、その重量級の実体を介して、そうした周期的な過程を緩ませて提示しているのだろう。サイクルを再び紡ぎ始める前に。

Danae Stefanou(※ギリシャ在住の前衛ピアニスト)
2019年1月28日

 


デトリタスにて

6階層の立方体から成るOCC(オナシス文化センター)はシグロウ通りに位置し、アテネ中心部と海岸の間を縫うように8レーンの幹線道路が走っている。OCCの反対側、私が滞在しているホテルの隣には、2つのストリップクラブが並んでいた。バビロン“Girls Live Show Girls”ナイトクラブと、“Everything you want night now!!!”ガールズバー。それらが示す符牒とは、ある者が世の中の遍く定義に疑義を示すような場合に備えた、人の五感の箇条書きである。4つ星ホテルの室内、車のショールームとストリップクラブ、OCC、白い大理石のピンストライプ覆われたOCCのフロア内部──これらは特に驚くほど絢爛だと言えた。

私が此処に居るのは、アテネ市内で調達された、寿命を迎えたデスクトップのPCケースを大量に使った作品を再構築する為だ。前の晩、ディナーに出掛ける際のちょっとした移動時間で確信に至った──欧州での過去十年間に亙る金融危機の深刻な一因を生んだこの国の、この都市に於て、この作品は想像以上に辛辣なものだろうと。
私はこの催事(補:「Detritus」)のプロデューサーの協力を得て、120台以上ものデスクトップPCを手配していた──私の力学的および聴覚的作品(補:「Constant Linear Velocity」)の要となる、改造した光学式ドライヴを取り付ける為、全パーツを外した金属製の筐体だけを。私が午前中に到着した折、スタッフはその荷を下ろしていた。しかし事前に中のパーツを取り除いておくという私の指示は翻訳の過程で失われ、筐体内のプラスチックとPCパーツの大部分は残されたままだった。

それから8時間、私は4Fロビーの磨き上げられた大理石の上で、ジャンクパーツ取りの低賃金労働者の如きパフォーマンスを繰り広げることになった。ドライヴ、電源、ファン、USBポートを機械的に取り外していく。廃棄されるパーツの量が膨大になるにつれて、制作チームが時折不安そうに見守ることもあった。エレクトロニクス産業によって確立されるような力学では、この作品(補:作品を作り上げる過程を詳らかにするというメタ的な意味での作品と捉えるべきだろう)は見えてこない筈だ。センターのロビーでは無く、その隅や周囲で起こる状況だからだ。OCCの何名かのスタッフは、彼等の資本によって設立されたこの輝かしいアートスペースの中で、こうしたサルベージ作業を行っていることを遺憾に思っているように私には感じられた。だが、ギャラリーがOCCの労働者のみ、という状況下でのこの肉体労働のパフォーマンスは、ある意味、一般展示の為に私が此処で審美的な仕事をすることよりも極めて重要だろうと感じられたのだ。
その日一日、清掃員、世話人、警備員、受付スタッフ(間違いなく今日の収入は私より少ない)が、ふらふら過ぎったり或いは何時までも居座りながら、私がPCを矢継ぎ早に解体していく様子を観察していた。

不要なパーツを並べて積み重ねようと思ったが、その数は割り当てられた展示スペースを明らかに超えていた。大きな波型ボードのロールを持った用務員が、私の作業中の瑕疵からフロアを養生するよう指示されていた(ケースのネジが素敵な音を響かせて大理石の上を撥ねた)。半日も過ぎた頃合、作品に組み入れる為にこのデトリタス(=残骸)の全てを保持しようと私は提案した。しかし制作チームからは懸念が上がり、日が終わるまで私は延々説得される羽目になった。(補:残骸の再利用を断念した後)到着した清掃チームは、腰に手を遣り、視線を泳がせ、溜息を噛み殺した。お決まりのぼやきと身振り手振りの後、彼等は残骸を大きなゴミ袋に詰め込み、台車で次々に運んでいった。残骸が視界から失せたことで、翻ってPCの筐体の持つ空虚さが剥奪されてしまったように私には感じられた。今朝方まで筐体に付いていたパーツや埃の塊だけで無く、今日の活動によって詳らかにされた労働の階層構造(ヒエラルキー)も然り。

翌朝、制作チームの弛まぬ協力によって私は無事に芸術家の役割へ戻ることができ、地平の向う側を覆い尽くさんばかりに密集したポリカトイキア(polykatoikia:ギリシャの集合住宅)とこの彫刻の構造上の関連性について熟考することが出来た。

数日後に聞いた話だが、アテネの郊外では十年以上前に多くのポリカトイキアの別荘が建設され、市場の急落によって完成が遠のいた結果、あちこちで未完成のまま放置されているそうだ。窓の無い、家具の無いコンクリートの殻、拒絶されてきた一つの未来の投影。

Stephen Cornford

 

 

 
2020-12-30追記:bandcampでの音源配信が開始されていた。廃盤品を入手して聴く機会が無いからロスレス配信してくれ、と本人に直接要望してから約二年、漸くやってくれた。是非とも購入して聴いてみてほしい。
https://stephencornford.bandcamp.com/

Constant Linear Velocity (2016) from Stephen Cornford on Vimeo.

 

 

 

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