FONDEMENTS BRUITISTES / VIVENZA
リリース情報をこまめにチェックしてないとあっという間に廃盤になるVIVENZAの、『FONDEMENTS BRUITISTES(1984年)』と『REALITES SERVOMECANIQUES(1985年)』のCD+Book復刻版。仏語と英語と日本語。日本語訳に関しては中国のエセ日本語製品及びamazonレビュー的なものを期待してたけど、専門家に依って吃驚するぐらい丁寧に翻訳されていた。
で、元々何処かの教授やってるジャン=マルク・ヴィヴェンザ自身がこのテキストを記述しているので、今更何をか言わんや。膨大なテキストがある以上、それを読み耽りながら浸るのが正しい。但し『騒音主義論』という表題が付くだけあって、翻訳文体且つ論文的記述に終始しているので途中で寝落ちしないように。
内容はざっくり、ロシアやイタリアで二十世紀初頭に隆盛した未来派、特にイタリアの画家ルイジ・ルッソロが提唱した騒音主義芸術と、1913年にルッソロ自身が知己の音楽家に宛てた騒音主義の具体的な提唱内容(アイデアとしてはインダストリアルなノイズと言うよりはフィールドレコーディング及びサンプリングに依るエクスペリメンタルのニュアンスが強い)。
「歴史」がおおあらわで忘却の大きなヴェールで覆ってしまったため、我々の役目はこれらすべての芸術家たち、とりわけルッソロの真価──ジョヴァンニ・リスタをして「現代音楽の始まりを夢とともに切り開いた」と言わしめている──を認めることにある。我々の役目はそれだけではない。ロシアの構成主義の具体的経験に意識的でありつつ、未来派の騒音主義幻想への我々の歴史的および理論的愛着を声高に主張すること。そして、一九一七年に聴覚実験所「未来派騒音主義実験」を設立したジガ・ヴェルトフにつづいて、こう言うこと。「かつて動き、いま動いている機械の詩よ、万歳。てこ、車輪、鋼鉄の翼、動く鉄道の叫び、白熱する噴射物のまばゆい渋面の詩よ、万歳。」
(騒音と音──歴史的関係)
そしてそれらを受けた具体性の提示として、騒音主義を復権させつつ、現代の高度なオートメーションを背景に「機械的論理に因って追い越され物象化した歴史(社会工場)の主体」としての人間を表現する試みを音楽として行っている、というのがVIVENZAの本筋であり基本姿勢。流石は学者、めんどくせえな。掻い摘んで説明する方もめんどくせえわ。
ジャンルはノイズ/インダストリアル(1980年代なので現代音楽の文脈ではあまり語られないと思う)で、工場の数多の機械音を整然と詰めまくった鬼テープループ&テープコラージュ。日本が誇るハーシュノイズ王Merzbowとは対照的。内容的には『MODES REELS COLLECTIVS』や『VERITI PLASTICI』のような片面20分1曲のような形式では無く、代表作『REALITES SERVOMECANIQUES』でもそうであったように、幾つかのトラック毎に独立して作られているので聴きやすい。この場合、楽曲トラックと言うよりは思想の場面として捉えるのが良いと思われる。
まあ何だ、未来派とロシア構成主義というだけでも音的な説得力は強いし、非常に欧州インダストリアル一派らしい佇いだよねえ。ファシズムのパスティーシュ或いは共産主義的威光を示したライバッハ然り、結成当時は左翼的であったテスト・デプト然り。
かつて動き、いま動いている機械の詩よ、万歳。てこ、車輪、鋼鉄の翼、動く鉄道の叫び、白熱する噴射物のまばゆい渋面の詩よ、万歳。